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ひとりごとレース編 2002年鈴鹿 U-4 OPEN 4時間耐久

2002年7月21日、耐久の暑い夏が終わった。
今年も偉そうな成績を残すことは出来なかったが、体験した事をありのままに書いてみたいと思う。


レギュレーションなど・・・

2002年の鈴鹿4時間耐久レースは昨年までと異なり、ネイキッドクラスとSPクラスの混走となった。
また、新たにOPENクラスが創設され、NK-OPENとSP-OPENが加わった。しかし2003年からはこの2クラスだけとなる(予定)。
大会名称も ”U-4 OPEN・4hours” となり、今大会、クラスは全部で5クラスある。

参加の目的もここにあるのだが、5クラスあればクラス表彰も例年と比べると、チャンスはある。(狙いがかなりセコイが・・・)
昨今の景気動向からすれば大きく参加台数が増えることは見込めない。
長くやってきた甲斐があった、と思えるように、今回は”楯”が欲しいところ。

今年は3人組で決勝走行が出来るようになった。昨年まで、補欠ライダーの登録はあったが、3人体制での走行は認められていなかった。今年はちゃんと決勝を3人でを走行できる。しかし第3ライダーの予選は「予選グリッドの決定」には影響を与えず、ただ決められた枠の予選を走って「あまりにも遅い奴」ではないかどうか?を見るだけのようである。

開催日の短縮化が叫ばれていた様だが、今年も変わらず3日間のタイムテーブルとなっている。(木曜日の練習走行を含めると4日間)

予選

予選1日目は私、第2ライダー公式予選である。天候は曇り、コースコンディションはウエット&ドライであった。タイヤ選択はスリック。他のライダーもほとんどスリックだったような気もするが、タイムを見るとレインで出走した気配もあり、なんとも言えないところ。

結果はNKクラスで16位。NK-OPENクラスで3位だった。

公式予選2日目は第1ライダー。天候は曇りだが、コースはドライ。第1ライダーは強豪が揃うので大変だろう。結果はNK総合19位、NK-OPENクラスでは6位だった。

第1ライダーの予選が終わると、第3ライダーの公式予選だ。3人体制のチームは全体でも少ないのでSPクラスなども併せて走行する。ここでのタイムは前述のとおり予選グリッドに加味されないのであるが、あまりにも遅いと「ダメ出し」されるみたい。今回「ダメ出し」はなかったようだが・・・。

さあ、総合結果! NK全体では17位からのスタート。NK-OPENクラスで見ると4位、SPなども含めたスタートグリッドは34位からとなった。(その後繰上げで33位からのスタートとなる)

さあ決勝!

スタートライダーは第1ライダーが務める事となり、第2ライダーの私は単車を持つ係。

前年、周りのライダーがフライングを恐れて、ゆっくりマシンに駆け寄っているのだと書いた。(レース編2参照)
しかし今回、その予想が誤りであったことが第1ライダーの証言で判明した。


スタート前、談笑しながら「フライングをしないように!」と念を押していた。そしてスタート時刻を迎え、表示が”0”となった。しかし、一向にスタートを切らない相棒。ようやく足を動かしたものの、その歩みは「走っている」というそれではない。ようやくマシンに辿り着いたものの、エンジン始動に手間取り、大きく遅れてしまう。まあ、1コーナーでアクシデントに巻き込まれるようなことにでもなれば悔しい思いをするので、「こんなもん」と納得!
しかし、どう考えてもあのマシンへの駆け寄りは、”エスカレーターの水平版”「動く歩道」といい勝負!

そんなことを考えつつも私の走行の番になり、ライダーチェンジ。今回のマシンはブレーキ系がブレンボで、コントロールが容易に出来る
。そのせいか思いのほかタイムが向上。気持ちよく走行が出来てちょっと嬉しかった。

そんなこんなで交代の時間となり第3ライダーへバトンタッチ。ピットに戻り第1ライダーと言葉を交わす。気になるのは先ほどのスタートの件だ。
「あのスタートはどうしたん?」
「いや、足が動かへんかってん、途中で足がもつれてコケそうになったわ。普段走らへんからなぁ〜。」

なるほど。ここのところ皆様ご存知のとおり、今の日本は経済不況。その余波はレース界にも及び、エントリ台数は減少傾向。このクラスでの参加ライダーの平均年齢は、80年代後半のブームよりも確実に上がっている。

練習や自己鍛錬に余念のない上位ライダーには無縁のことだが、私たちのように日々の精進を怠っているものにとっては、あのスタートのダッシュは体にこたえるというもの。
特にうちの第1ライダーときたら・・・。

前年のスタートの様子は、皆、遠慮していたのではない。あれが全力疾走だったのだ。
私も年齢は上のほうになるが、その昔はマラソンが得意で、ダッシュもそれほど苦手ではなかった。
現在はなかなか出来ていないが、少し前までは深夜に10kmほど走っていたこともあった。
そのほんの少しの差が、あの短い距離で現れたのだろう。
ま、みんなバイクに乗ってしまえば速いから、みるみる抜かれちゃったけど・・・。

さて、レースの方はスタートから40分経過時点で、第1ライダーから第2ライダーへ交代。その後40分で第3ライダーへと交代。1時間経過時点での途中結果は、総合31位、NK-OPENクラス4番手である。

アクシデント!!!

第1ライダーとスタートの件で談笑後、そろそろ交代の時間だというので第1ライダーが着替え始めた。その時、第1ライダーが突然叫んだ。

「おい、78番なんか言うてたぞ!」

78番は私たちのチームのゼッケン番号である。

レースのアナウンスは観客席などではよく聞こえるが、騒々しいピット内では距離の関係もあり、ほとんど聞こえない。 しかし、昨年から私たちはサーキット内で放送されているテレビ中継を録画するためにテレビデオを持参していたので放送されている実況から、レースの状況を知ることが出来る。その放送中に「78番」の番号が呼ばれたのを彼は聞いたのである。

早速、画面を確認するとともに、修復担当の人間を呼び、マシン修理の体制を整える。(レースがスタートすると、長丁場の耐久では皆、好き勝手にどっか行ってしまう。良くないんだけど・・・)
マシンが戻ってくるかどうかは正直分からない。画面もいつまでも捉えてくれるわけではない。しかし、いつ戻ってきても良いように、ホームストレートではサインマンが確認を怠らず、メカニックもパーツや工具を揃えて待ち続ける。

そうこうしている内に第3ライダーの跨ったバイクが戻ってきた。
外装はフロントのゼッケンカウルが曲がり、タンクがへこんでハンドルも曲がっている。チェンジペダルが壊れたらしく、多少、部品の交換を必要とするものの、何とか直りそうだ。
修復には15分ほど要しただろうか?詳しく覚えていないが、メカニックのおかげでエンジンもかかり、走行できる状態になった。

ライダーは、第3ライダーから第1ライダーへと交代し、コースへと復帰する。この時点の順位は定かではないが、2時間経過時点での順位は、総合52位、NK-OPENクラス8位(最下位)であった。

いざ追い上げ 〜 チェッカーへ

通常、転倒のダメージは少なからずあるものだが、タイムも落ちず、ピットに入る気配もないことから、走行には影響がないようだ。第3ライダーの精神的ダメージは大きいようだが、ここはチェッカーに向けて気持ちを入れ替え、走行に備えてもらうことにする。

交代のタイミングも大きく変わることになるので、ピットの各員は燃料の補給量、ピットインのタイミングなど、調整に余念がない。ライダー側では、各走行時間の変更を行い、第3ライダーと第2ライダーの交代を逆転。私は最終ライダーの担当となり、2年連続でゴールを任されることになった。

第1ライダーから第3ライダーへと交代が行われ、私は第1ライダーとマシンの状態について意見を交わした。
ハンドルの損傷は、ハンドル左側が大きく内側に曲がっており、慣れるまで2〜3周かかるが何とか操れる状態だという。

3時間経過時点で、総合46位、NK-OPENクラス6位まで順位を上げた。ここは最後まであきらめずに”楯”を狙いたい。上位にアクシデントが無いとも限らない。タイム差も交代までの間に研究した。全力でかかれば何とかなるかもしれない。そう考えながら私は第3ライダーから任されたマシンに跨り、コースインした。

ピットを離れ、ストレートから第1コーナーへ進入。ハンドルの違和感は2〜3周ということだった。しかし、第2コーナーを曲がり終えたころ、その違和感はまったく無く、軽快にコーナーを駆け抜けていくことが出来た。そう、実はこのハンドル、私にとっては「すごく乗りやすい」のである。

オートレースなんかではハンドルが左右で極端に異なっている。長円のコースを走るだけのオートレースではこのハンドルが当たり前だが、鈴鹿のような大小、いくつもの異なるコーナーをもつサーキットでは、普通のまっすぐなハンドルを使うのが常識である。

しかし、この曲がったハンドル、私との相性がなんとも抜群である。コースインしてホームストレートに戻り、ほぼ1周、回り終えたが「違和感なし」であった。
そうなれば、タイムを上げ、上位の追い上げにかかるのみである。
それほど偉そうなベストラップがあるわけでは無いので、「上を目指す」といってもたいしたことは出来ない。しかし、耐久レースは速い名門どころが同じコースを周回しているし、スプリントと比べると遥かに長い時間コースを走っていられる。要するに「勉強」出来るのだ。

同じコースを速いライダーと走ると、自分のタイムも上がる。引っ張ってもらうことが出来るために、コーナー進入ではブレーキングポイントもつられて奥に取ることになるし、加速で離されても意地で食らい付いていく。次の進入でも離されまいとブレーキングを頑張ることになる。そうすればコーナリングスピードも自然と上がる。
この繰り返しで1周のラップが速くなり、自身の体感スピードを向上させることが出来る。ピットからのサインボードに表示されたタイムは自分の自信にもなる。耐久レースの決勝は、私にとってまさに”絶好の練習時間”なのだ。

最後の1時間を切った頃になると、どのマシンが速い奴なのか分からなくなってくる。ライト点灯の時間でもあり、あたりはすこしづつ暗くなっていく。
自分の順位は分からないので常に全力疾走なのだが、転倒しては元も子もないので、イエローフラッグが振られていた場合は少し用心して走るようにした。

最後の方になると、タイヤが滑り始め、危うくスプーン2個目で飛んでいきそうになった。日ごろの行いがよかったのか、マシンは自然に体勢を立て直してくれた。
チェッカーまであと少し。ゼッケンの色やマシンの形を見ながら同じクラスのマシンを抜くことに集中していた。

ゴール

午後7時。チェッカーの時刻を迎えた。
マシンは無事に4時間を走りきり、前方には大きな集団。完走したマシンが一団となってコースを周回する”耐久独特”のレース終了の光景である。マーシャルに手を振りまくり、感謝の気持ちと自身の喜びを表現する。昨年は一人でコースを一周したので周りのライダーの様子は分からなかったが、今年はまわりに多くのライダーがいる。「皆、私と同じようなことをしているのだろうな。」そう思いながらまわりを見渡した。

”だれも手なんて振ってない。”

「みんな、もうちょっと愛想良くしろよ!マーシャル頑張ってくれたんだから。」とか思いながら一人手を振っていた。

ホームストレートに戻ると、優勝マシンのパフォーマンスで白煙が立ち込めていた。
ピットから多数の人がコースに入り、メインストレートは人だかりが出来ている。
人身事故を起こさぬよう、注意しながらチームのみんなの所へと急ぐ。

前方に見慣れたサインボードが高々と掲げられている。
「いた!」
お揃いの黄色のTシャツを着たみんながマシンを取り囲んだ。

「おしかったなぁ〜。」第1ライダーは開口一番こう言った。
「あかんかった?」私は”楯”の行方を聞いた。
「ええとこまで行ってんけどなぁ〜。」

普段の彼の性格を考慮すると、これは嘘で、実は後で「楯が獲れた」なんて驚かすことが想像できた。
しかし、今回、嘘は無かった。
真実は、

 「総合40位、NK-OPENクラス4位」

だった。

確かに残念だった。おしかった。悔しかった。
でも、こうして五体満足に戻ってくることが出来て、完走まで出来た。
友人から恒例の”シャンパンファイト”のプレゼントも貰えた。

また来年も参加するだろう。たいした成績じゃないかもしれないが、そんなことは関係ない。
自分たちが一生懸命やって出た結果には誰にも文句言わせない。
ここには自分の楽しさがあり、仲間とともに目指す目標もある。
来年もみんなでチームの「最高順位」という目標を目指すことになるはずだ。

だって今年も総合40位。いつだってこれが「最高順位」なんだもん。

 

 2002年鈴鹿U-4 OPEN・4hours編 終わり